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2026年9月19日

真珠の耳飾りの少女を見た! 中之島「フェルメール展」に行ってきました



巷では厳しい評価もされている中之島の「フェルメール展」に行ってきました。

相当な混雑ぶりであることは事前情報で分かっていましたが、
これはもうね“「真珠の耳飾りの少女」詣で”でした。





はい、御本尊拝観でございます。 
 
長い参道をひたすら押し流されるように進んで、
拝めたのは一瞬でございました。




ご本尊前は、このような参道でございます。


◆今回の展示で私が感じた問題点

もう、並ぶこと自体は分かっていました。
美術展なので、それは問題ではありません。
ただ、実際に体験してみて 大きな問題点が3つありました。

① 導線の悪さ(一方通行)

今回の「フェルメール展」は、小さな絵画である「真珠の耳飾りの少女」一点主義の企画です。

そのため混雑は覚悟していましたが、フェルメールエリアは 完全な一方通行で、

スクリーンエリア→「ディアナとニンフたち」→少女の部屋と、3か所で並ぶ構成でした。

私が行った平日午後で、それぞれ 40分・20分・1時間ほど並んだでしょうか。


特に「真珠の耳飾りの少女」の部屋は、人の熱気で かなり暑い。

↑この暑い部屋で、一方通行の流れに押されながら 1時間ジリジリ進むことになります。


今回の展示が非難されている最大の要因は、この 一方通行の導線にあると感じました。

身動きできる余地は必要だったと思います。


② 展示数の少なさ

展示作品は全部で 12点でした。

それとは別に、フェルメールの36点の作品の原寸大パネル展示もありましたが、
このパネル展示を 並び列の鑑賞行程に組み込む構成にできなかったのかと不思議でした。

展示数が少ないことを補う構成が足りなかったことで、
並んだ時間の印象ばかりが残ってしまい、
「フェルメール展」を楽しみきれない要因だったと思います。


③ 周知が足りない

事前案内では「大変混雑が予想されます」とありましたが、
実際の混雑はその表現をはるかに超えていました。

5時間並んだとか…。

トイレ離脱では並び直しと案内されている情報も。
SNSには、遠方から来た人がトイレを我慢できず、並び直して飛行機の時間に間に合わず、
何時間も並んだ末に少女は“遠くからチラッと見えただけ”になったと書いている人もいました。
なんてこった。

また、少女の部屋は暑さで息苦しく・・。

これはもう、子どもや体力に自信がない人は来るべきではないレベルで、
「すごい混んでるんやろ〜」という軽い想定を振り切った状況でした。






とは言え、私たちが訪れた9月のはじめは、
それでも開催直後よりは混乱が少し落ち着いたころだったようです。

参道は折り返しになっており、最前列以外でもずっと鑑賞できますし、写真撮影もできます。

ちなみに最前列での撮影は正面で一枚のみとのことでしたが、
この折り返し部分では斜めから撮影できたのがうれしかったです。
額縁込みで好きですので。

待ち列のあいだに満足できる画像が撮れたので、
最前列ではしっかり鑑賞に集中することが出来ました。

本物はやっぱり目が力強く輝いていて、
「うん、これは見にこれてよかったな」と思いました。
真珠の色合いが、複製で見慣れていたものとは少し違うように感じました。




顔料の展示です。

フェルメールは子どもが多く、生活は楽ではなかったそうです。
晩年は第三次英蘭戦争でデルフトの景気が落ち込み、家計も一気に苦しくなったとか。

それでも、作品にはラピスラズリのような高価な顔料が使われています。
裕福だったわけではなく、画材はパトロンが負担していたようです。

長く 「青いターバンの少女」 と呼ばれてきたこの絵の青は、
まさに「この一枚のための贅沢な色」なのですが、
そういう事情を知ったあとで見ると、妙に余裕のある光を放っているように感じます。





「ディアナとニンフたち」

フェルメールは若い頃、宗教画や神話画を描いていましたが、ほどなく室内の風俗画へ移りました。

当時の市場では大きな歴史画より、日常の一場面のほうが確実に売れたからです。
描きたいものではなかったのかもしれませんが、その“経済的な選択”のおかげで、
いま私たちが知っている“フェルメールらしさ”が後世に伝わっているのは、
「こんなことになってるよ」と、少し彼と話してみたくなりますね。



開催直後は、これだけ並んで、さらにグッズショップでも2時間も並ぶような大混雑だったそうなのですが、
グッズがほとんど枯れた9月のはじめ頃は、ショップは落ち着いていました。

こちらが購入品です。






絵はがきは厳選して「デルフトの小路」と、フリーレンコラボものを。

「デルフトの小路」は大塚国際美術館で見た時に『私の“気になり絵画”ベスト10』に入選した😏お気に入りです。
フリーレンコラボはがきはラスト2枚だったので、あわてて掴みました。

そして…展示作品が少ないので、購入しようか迷った図録と・・・、
同じく迷った、真珠の耳飾りのミッフィーちゃんです。

結局どちらも買ってきました。

ミッフィーちゃんは売り場には見当たらず、やはり品切れか…と思っていたのですが、
レジで声をかけると出てくる方式になっていて、なんかちょっと高かった気がするのですが、
勢いで声を掛けてしまいました。
見れば見るほどかわいいので、これは購入して良かった。

最近はミッフィーちゃんは受注販売になったようですね。


そういえば、今回の「フェルメール展」ではレンブラントの作品もあると言うことで楽しみにしていたのですが、
フェルメールエリアで2時間並んでいるうちに、頭に血が回らなくなったのか、
出てきた頃には「あれ、レンブラントあった?」と記憶が消し飛んでいました。

レンブラントの《笑う男》、ヤン・ステーンの《甥が歌えば若者が笛吹く》、
パウルス・ポッテルの《水に映る牛》、
マリア・フォン・オーステルウェイクの《装飾的な壺の花》など、
後でゆっくり見返したい作品がいくつもあったので、
図録はやはり必須でした。
買っておいて良かったです。





ところで・・・中之島の美術館ということで、てっきり以前クリムトを見た「国立国際美術館」だと思っていたのですが、
え?、新しい美術館ができていたのですね。まずそこにびっくりしました。

緑も多くて、周囲のロケーションもよく、歩いているだけで気持ち良いです。
これからどんな展示企画があるのか、楽しみが増えました。




《真珠の耳飾りの少女》は、今回がもう貸し出しの最後になるかもしれないと言われています。 
マウリッツハイスが改修で一時的に閉まる、その短い期間に合わせて日本へ来てくれた一枚です。
こんな機会をいただけたことに、そして大阪で見せてもらえたことに、ただ感謝しました。

2025年12月28日

出張という名の東京観光記⑧ 「マチュピチュ展」へ行ってきた ~生贄と金ピカのアンデス世界~

ここまで、モチェの英雄アイ・アパエックの壮大な冒険をを見てきましたが、
ここからは、その物語が実際の社会でどのように儀礼として行われていたのかに話が移ります。

古代アンデスでは、神々と世界の秩序を保つために、生贄の儀礼が実際に行われていました。

「ランバイエケ 金箔銀衣」
西暦800-1300年 ラルコ博物館



「鹿狩り」紀元後100-800年 ラルコ博物館

「モザイク装飾の鳥の戦士を象った耳飾り」
紀元後100 -800年 ラルコ博物館


モチェの展示を見ていて驚いたのは、戦いそのものがとても“儀礼的”だったことでした。
モチェでは権威ある戦士同士が一対一で戦い、兜を取られたり髪を掴まれたりした方が敗者とされました。
まるで騎馬戦の帽子取りのような決まり方なのに、その先には生贄として神に捧げられるという重大な役割が待っています。

ギリシャ等では奴隷同士が戦わされるイメージがありますが、アンデスでは“神に選ばれた者”として次の世界へ向かう名誉ある行為と考えられていたそうです。

いくら神話が身近だったとはいえ、本当に人がそんな気持ちになれるものなのかと、不思議な気持ちになりました。


「捕らえられた支配者階級の戦士」
紀元後100-800年 ラルコ博物館

「捕虜となった戦士の頭部」紀元後100-800年 ラルコ博物館

「神殿に腰掛けた神官」紀元前1250 -100年 ラルコ博物館



「生贄の儀式と献杯」紀元後100-800年 ラルコ博物館






生贄の儀式によって神々と世界の秩序が保たれる・・・そんな古代アンデスの世界観を描いた物語の動画がここで流れます。

生贄を栄誉と捉える感覚がなかなか理解できなくて、3回ほど見てきました。






 
「二つの猫の頭を持つ蛇」紀元後100 -800年 ラルコ博物館


「捕虜となった戦士」紀元後100 -800年 ラルコ博物館




次の章は「祖先を知る」です。




古代アンデスの人々にとって、動物や金属はただの素材ではなく、世界の成り立ちそのものを象徴する存在でした。
天空を舞うコンドルは神々の領域とつながる力を持ち、ネコ科の動物は王権や戦いの強さを示す象徴として恐れられ、地下世界を司る蛇は再生や水の循環を表しました。
こうした動物たちは、単体で描かれるだけでなく、複数が組み合わされて“神格化された存在”として表現されることも多く、モチェの装飾品にはその世界観が色濃く刻まれていました。

金や銀にも特別な意味があり、金は太陽の光のように不変で神聖なもの、銀は月の静かな力と結びつけられました。どちらも経済的価値より、身につける者が“神々とつながる力を持つ”ことを示す象徴として扱われていました。

王や神官の装飾品は豪華さだけでなく儀礼的な意味合いも強く、身につけること自体が世界の秩序や神々との関係を示す行為だったのだと感じました。


しかし、ピアスのポストの部分の太さが、最初は1〜2センチだったのに、展示が進むにつれて3センチ、4センチ程度とどんどん大きくなっていくのには思わずハラハラしました。















これらの装飾は、モチェ文化だけでなく、クビスニケ、チムー、チャビンなどが混在しています。
古代アンデスの文化は、日本のように一直線に移り変わったわけではありませんでした。
クビスニケからモチェ、そしてチムーへと、同じ北海岸の地域で文化が受け継がれていく流れは、縄文・弥生・古墳のような連続発展に近いものがあります。
一方で、チャビンは高地で別系統として栄え、時期も一部重なっていました。
まるで東北で縄文が続く横で、九州では弥生が始まっているような広がり方をしていたのだなと感じました。

















「インカのキープ(結縄記録装置)」
インカ文化 西暦1438年ー1532年

インカのキープは、紐の結び目で数や情報を記録する独自の装置でした。
結び目の形や位置、縄の色を組み合わせて人口や税、作物の量などを管理し、文字を持たなかったインカ帝国の行政を支えていたと考えられています。
専門の記録官キープカマヨックだけが扱える高度なシステムで、いまも完全には解読されていない謎多き記録技術なんだそうです。
結び目の位置で一・十・百・千の位を表す十進法が使われていたそうです。


そして、最後の部屋でやっとマチュピチュ登場です。




マチュピチュの壮大な映像と、パネル展示です。







ここまでの展示で、古代アンデスの人々にとって水がどれほど大切だったかを学んできたので、マチュピチュにも綿密に考えられた治水の仕組みがあり、十分な水を確保できるシステムが整っていたという説明に思わず安堵しました。


ね、「マチュピチュ展」ではなく「モチェ展」ですよね~。
もう、時代が全然違いますものね~。

※モチェ文化は日本で言うと「弥生~古墳時代」頃、マチュピチュは鎌倉~南北朝~室町、全然新しいですよね。
ちなみに最近では、名前も間違って広まっていて、マチュピチュ=老いた峰ではなく、ワイナピチュ=新しい峰、であったことが分かってきたようですね~。


出口では同じ「NEON JAPAN」がプロデュースしている、「ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」の割引券が配布されていました。
時間があれば、そちらも見たかったのですが、さすがに一日ではここまでです!

マチュピチュ展は、行った人の情報ではゆっくり回っても2時間あれば大丈夫とのことでしたが、そこそこ人が入っているものの、皆さんそれぞれ見たい展示に散らばるので待ち列ができることもなく、思ったよりスムーズに進めました。
実際には、じっくり見ても1時間ほどで回ることができました。


★ ★

*グッズ紹介*




図録風にCREVIA マチュピチュ展のために発行されたと思われる、紙質のペラペラな薄目の冊子読み物です。(図録と同じぐらいのお値段しました)

とりあえず、このブログを書くためにめっちゃ読みました!!

こ~~んなに、ユニークな展示ばかりなのに!!
それらしいグッズはほとんどないのです!!!
各土器のピンバッチや、ステッカー等があったら、片っ端から買ってしまいそうなぐらいなのに!!!



コロンとかわいい、「チムー文化の頭飾り」デザインの缶々です。
こちらはお土産です。





チマチマとしたものを買ってきました。
「ジャミーちゃん」がかわいいです。

「ジャミーちゃん」??と思った方は⇒こちらとこちらへ





52階から眺める東京の夕景です。
左側に広大な墓地が広がっています。



行きはスムーズだったのに、出口はまた違った場所でしたので、
必死でメトロの看板を追いかけました、ようやく見覚えのある“クモ”のところまで戻ってこられました。

あ、あそこに・・・東京タワーが見えています。




東京ですねぇ。きれいですねぇ。


こうして、早朝の深川不動尊から上野、そしてマチュピチュまで駆け抜けた一日を終えて大満足して、帰途に着きました。


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