4月から始めた、六十六花御朱印巡り。
当初は全66寺社を満願するつもりでしたが、途中から万博に通うようになったので、夏パスが終わって涼しくなってから「回れるだけ回ろう」と気楽に考えるようになりました。
それでも御朱印帳は専用のものなので、せめて表面は全部埋めたいと思ったので、せっせと巡って、区切りはあと2枚。(正確にはこの時点で1枚貼り漏れていたので、実際は残り3枚だと思っていたのですが…)
御朱印巡りは毎回2~3万歩ほど歩くので、帰宅後は足がパンパン。
この歳になると今まで痛んだことがない、「かかと」が痛むようになりました。
どうやらアキレス腱が硬くなっているせいらしいです。
【させん堂 不動寺】
柿がたわわに実っています。
鳥にも人にも食べられていないということは渋いのでしょうか・・・。
させん堂不動寺は、大阪城築城の頃から移転を繰り返しながらも信仰を集めてきた真言宗のお寺です。
江戸時代には『ドッコイそうはさせん堂不動さん』と洒落に詠まれるほど庶民に親しまれ、今も大阪四不動尊のひとつとして東方を守っています。
「させん堂」とは、この地が「左専道村」と呼ばれていたことに由来するそうです。
菅原道真公が大宰府へ左遷される途中、諏訪神社の森で休憩した故事から「左遷道」と呼ばれましたが、縁起が悪いので「左専道」と改められたと伝わります。
また、ここは明治8年に左専道小学校が創立された場所で、現在は大阪市立諏訪小学校へと続く教育の発祥地とのこと。
明治5年「学制」公布によって全国に小学校設置が始まりましたが、まだ整備途上で、地域によっては学校がなかなか作られませんでした。
明治8年に小学校が創立されたのは、比較的早い段階で教育の拠点ができたことを示しています。
地域の誇りとして、また地名の由来とも結びついているので、歴史的な背景が石碑に残されたのでしょうね。
御朱印を頂いたら、お寺の方にお菓子をいただきました。
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| させん堂 不動寺の花御朱印 |
【鵲森宮】
聖徳太子が両親(用明天皇・穴穂部間人皇后)を祀るために建立したと伝わる古社です。
祭神が「穴穂部間人皇后」って珍しいなと思ったら、やはり穴穂部間人皇后を祀る日本で唯一の神社として知られているそうです。
穴穂部間人皇后」ゆかりの神社としては、八尾市の「穴太神社」や法隆寺の東側の「中宮寺」などが有名ですが、こんな身近な場所で神様になっていたとは…。
別名、森之宮神社と言われ、地名「森ノ宮」の由来となったそうで、
『日本書紀』に『六年秋九月 新羅遣使貢二鵲於朝。仍養於鵲之森』と記され、
推古天皇6年(598年)、新羅から帰国した使者が2羽の鵲(かささぎ)を献上し、この森で飼ったことから「鵲の森」と呼ばれるようになったと記録されています。
境内に万葉歌人・大伴家持の歌碑と猫間川を称える句碑がありました。
「かささぎの 渡せる端におく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける」
「天地の恵みをしるや 華の時」
この日はの二寺社を巡りました。
午後から買い物ついでにのんびり出かけたのですが、深江橋から森ノ宮へ移動するうち、またもや営業時間ギリギリに到着…。
思えば、京都の河合神社へ閉門間際に駆け込んで以来、毎週のように16時前後に走り回っています。
もっとゆったり巡りたいと思っているのですが、気づけば時間に追われているのです。
京都で河合神社へ駈け込んだ記事は⇒こちら
これで目標としていた花御朱印帳の表面はすべて埋まりました。
「これで終了!」としたいところですが、満願まではまだ半分。
この先があるのかどうかは…次回のお話にて。








