2025年12月28日

出張という名の東京観光記⑧ 「マチュピチュ展」へ行ってきた ~生贄と金ピカのアンデス世界~

ここまで、モチェの英雄アイ・アパエックの壮大な冒険をを見てきましたが、
ここからは、その物語が実際の社会でどのように儀礼として行われていたのかに話が移ります。

古代アンデスでは、神々と世界の秩序を保つために、生贄の儀礼が実際に行われていました。

「ランバイエケ 金箔銀衣」
西暦800-1300年 ラルコ博物館



「鹿狩り」紀元後100-800年 ラルコ博物館

「モザイク装飾の鳥の戦士を象った耳飾り」
紀元後100 -800年 ラルコ博物館


モチェの展示を見ていて驚いたのは、戦いそのものがとても“儀礼的”だったことでした。
モチェでは権威ある戦士同士が一対一で戦い、兜を取られたり髪を掴まれたりした方が敗者とされました。
まるで騎馬戦の帽子取りのような決まり方なのに、その先には生贄として神に捧げられるという重大な役割が待っています。

ギリシャ等では奴隷同士が戦わされるイメージがありますが、アンデスでは“神に選ばれた者”として次の世界へ向かう名誉ある行為と考えられていたそうです。

いくら神話が身近だったとはいえ、本当に人がそんな気持ちになれるものなのかと、不思議な気持ちになりました。


「捕らえられた支配者階級の戦士」
紀元後100-800年 ラルコ博物館

「捕虜となった戦士の頭部」紀元後100-800年 ラルコ博物館

「神殿に腰掛けた神官」紀元前1250 -100年 ラルコ博物館



「生贄の儀式と献杯」紀元後100-800年 ラルコ博物館






生贄の儀式によって神々と世界の秩序が保たれる・・・そんな古代アンデスの世界観を描いた物語の動画がここで流れます。

生贄を栄誉と捉える感覚がなかなか理解できなくて、3回ほど見てきました。






 
「二つの猫の頭を持つ蛇」紀元後100 -800年 ラルコ博物館


「捕虜となった戦士」紀元後100 -800年 ラルコ博物館




次の章は「祖先を知る」です。




古代アンデスの人々にとって、動物や金属はただの素材ではなく、世界の成り立ちそのものを象徴する存在でした。
天空を舞うコンドルは神々の領域とつながる力を持ち、ネコ科の動物は王権や戦いの強さを示す象徴として恐れられ、地下世界を司る蛇は再生や水の循環を表しました。
こうした動物たちは、単体で描かれるだけでなく、複数が組み合わされて“神格化された存在”として表現されることも多く、モチェの装飾品にはその世界観が色濃く刻まれていました。

金や銀にも特別な意味があり、金は太陽の光のように不変で神聖なもの、銀は月の静かな力と結びつけられました。どちらも経済的価値より、身につける者が“神々とつながる力を持つ”ことを示す象徴として扱われていました。

王や神官の装飾品は豪華さだけでなく儀礼的な意味合いも強く、身につけること自体が世界の秩序や神々との関係を示す行為だったのだと感じました。


しかし、ピアスのポストの部分の太さが、最初は1〜2センチだったのに、展示が進むにつれて3センチ、4センチ程度とどんどん大きくなっていくのには思わずハラハラしました。















これらの装飾は、モチェ文化だけでなく、クビスニケ、チムー、チャビンなどが混在しています。
古代アンデスの文化は、日本のように一直線に移り変わったわけではありませんでした。
クビスニケからモチェ、そしてチムーへと、同じ北海岸の地域で文化が受け継がれていく流れは、縄文・弥生・古墳のような連続発展に近いものがあります。
一方で、チャビンは高地で別系統として栄え、時期も一部重なっていました。
まるで東北で縄文が続く横で、九州では弥生が始まっているような広がり方をしていたのだなと感じました。

















「インカのキープ(結縄記録装置)」
インカ文化 西暦1438年ー1532年

インカのキープは、紐の結び目で数や情報を記録する独自の装置でした。
結び目の形や位置、縄の色を組み合わせて人口や税、作物の量などを管理し、文字を持たなかったインカ帝国の行政を支えていたと考えられています。
専門の記録官キープカマヨックだけが扱える高度なシステムで、いまも完全には解読されていない謎多き記録技術なんだそうです。
結び目の位置で一・十・百・千の位を表す十進法が使われていたそうです。


そして、最後の部屋でやっとマチュピチュ登場です。




マチュピチュの壮大な映像と、パネル展示です。







ここまでの展示で、古代アンデスの人々にとって水がどれほど大切だったかを学んできたので、マチュピチュにも綿密に考えられた治水の仕組みがあり、十分な水を確保できるシステムが整っていたという説明に思わず安堵しました。


ね、「マチュピチュ展」ではなく「モチェ展」ですよね~。
もう、時代が全然違いますものね~。

※モチェ文化は日本で言うと「弥生~古墳時代」頃、マチュピチュは鎌倉~南北朝~室町、全然新しいですよね。
ちなみに最近では、名前も間違って広まっていて、マチュピチュ=老いた峰ではなく、ワイナピチュ=新しい峰、であったことが分かってきたようですね~。


出口では同じ「NEON JAPAN」がプロデュースしている、「ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」の割引券が配布されていました。
時間があれば、そちらも見たかったのですが、さすがに一日ではここまでです!

マチュピチュ展は、行った人の情報ではゆっくり回っても2時間あれば大丈夫とのことでしたが、そこそこ人が入っているものの、皆さんそれぞれ見たい展示に散らばるので待ち列ができることもなく、思ったよりスムーズに進めました。
実際には、じっくり見ても1時間ほどで回ることができました。



*グッズ紹介*




図録風にCREVIA マチュピチュ展のために発行されたと思われる、紙質のペラペラな薄目の冊子読み物です。(図録と同じぐらいのお値段しました)

とりあえず、このブログを書くためにめっちゃ読みました!!

こ~~んなに、ユニークな展示ばかりなのに!!
それらしいグッズはほとんどないのです!!!
各土器のピンバッチや、ステッカー等があったら、片っ端から買ってしまいそうなぐらいなのに!!!



コロンとかわいい、「チムー文化の頭飾り」デザインの缶々です。
こちらはお土産です。





チマチマとしたものを買ってきました。
「ジャミーちゃん」がかわいいです。

「ジャミーちゃん」??と思った方は⇒こちらこちら





52階から眺める東京の夕景です。
左側に広大な墓地が広がっています。



行きはスムーズだったのに、出口はまた違った場所でしたので、
必死でメトロの看板を追いかけました、ようやく見覚えのある“クモ”のところまで戻ってこられました。

あ、あそこに・・・東京タワーが見えています。




東京ですねぇ。きれいですねぇ。


こうして、早朝の深川不動尊から上野、そしてマチュピチュまで駆け抜けた一日を終えて大満足して、帰途に着きました。


2025年12月26日

出張という名の東京観光記⑧ 「マチュピチュ展」へ行ってきた ~アイ・アパエックの冒険が想像以上に壮大だった~ 



皆さまも、そろそろモチェ文化の魅力に引き込まれてきたのではないでしょうか。
ということで、次の章へ進みます。


🗡️モチェの英雄アイ・アパエックの冒険



アイ・アパエックは、モチェ文化で「最強の守護神」かつ「英雄」として描かれた存在です。

『むかしむかし、海の向こうから怪物が現れ、村を苦しめました。
祈りを受けたアイ・アパエックは、ジャガー・蜘蛛・蛇の力をまとい、三つの世界を巡って怪物の巣へ向かいます。
そして天空・地上・地下の力を合わせ、ついに怪物を打ち倒す・・・』


パネル展示と実際の土器や装飾品が重なり合い、

アイ・アパエックの神話世界への没入感がすごくてさらに盛り上がってきます。


「斑点のある犬」紀元後100-800年 ラルコ博物館


「山上を飛ぶアイ・アパエック」
紀元後100-800年 ラルコ博物館


地平線の向こうに消えてしまった太陽を探す冒険の始まりです。

山上を飛ぶアイ・アパエックはヒメコンドルに乗っていますが、このあたりで、
犬に鳥にで「まるで桃太郎やね」と言っている人がいました。

確かに、猿もでてきそうな雰囲気です。
が、実際にこの冒険を共にするのはトカゲです。

「耳飾り」紀元後100-800年 ラルコ博物館



めっちゃ!好きなデザインです!!




『アイ・アパエックは三つの世界を旅しながら、次々と立ちはだかる課題に挑みます。
ときには犬やトカゲを従えてヒメコンドルにまたがり天空へ向かい、
ときには超人的な力を宿すウニやフグ、カニたちと対決し、その勝利によって力を蓄えていきます。』

本展では、彼が状況に応じてさまざまな動物の姿へと変化しながら世界を渡り歩く姿を、多彩な作品を通して体感できます。


「カニと戦うアイ・アパエック」
「カニの姿をしたアイ・アパエック」
紀元後100-800年 ラルコ博物館




これ、あの“カニの壺”やん!!!

万博でモチェ文化を知ったとき、自分で調べて強く印象に残っていた“カニの壺”。
その実物を今回見られて、思わず息をのんでしまいました。

“なんでカニ~!!”と思っていたのが、背景も知って必然に見えてきます。



  • 「アイ・アパエック神の旅」紀元後100-800年 ラルコ博物館



アイ・アパエックが、三つの世界を巡る姿を描いた土器作品。
ネコ科動物の牙を思わせる表情や、異界をつなぐ装飾を身にまとい、天空・現世・地下世界を自在に行き来する存在として表されていました。
モチェの人々は文字を持たなかったため、こうした土器に神話や世界観を表現しており、こちらも「神が世界を維持するために旅を続ける」という物語を今に伝える重要な作品です。





『今度は海の世界で、超自然的な力を持つフグやウニと戦い、勝利することで新たな力を得ていきます。』


「フグの姿をしたアイ・アパエック」
西暦100-800年 ラルコ博物館


『フグの姿をに姿を変えたアイ・アパエックは、身を守るためのトゥミ刀を携え、地下世界とつながりを持つ梟の冠を身につけて、海の領域からさらに深い地下世界へと踏み入っていきます。』


「巻貝ストロンバスの中のアイ・アパエック」
紀元後100-800年 ラルコ博物館


『巻貝の怪物は海の世界でも特に危険な存在であり、アイ・アパエックにとってこの怪物への勝利は物語の中でも最も重要な場面のひとつです。
彼は強大な敵を打ち倒し、その殻を住みかとすると同時に、水がコミュニティへと巡り戻るよう願って、山に住む水の神へ最上の供物としてこの螺旋の貝殻を献上します。』

螺旋が大事!という最初の展示と結びつきますね!!




「トウモロコシの姿をしたアイ・アパエック」
「唐辛子の姿をしたアイ・アパエック」
紀元後100-800年 ラルコ博物館





これこれこれ!!

今年の7月、万博で初めてその存在を知って“いつか見たい”と思っていたのに、まさか地球の裏側にあるものを、数か月後に本当に目にすることになるなんて思ってもいませんでした。「とうもろこし神」。

なんでそんなことに?!と思っていましたが・・・。







『モチェの英雄は暗闇から太陽を救い出しました。
世界に秩序と光を取り戻した英雄は、やがて自らの役目を終えつつありました。』


「シワの刻まれたアイ・アパエックの頭部」
紀元後100-800年 ラルコ博物館

『年老いた英雄は最終的に処刑人と対峙して敗れ、死を受け入れて、祖先たちの世界へと歩みを進めます。』

こんなに深い皺を帯びた老人の姿で表現されたアイ・アパエック東部像も残されています。


『死者の世界へ下っていった英雄は、そこでメンフクロウのシャーマンと出会い、母なる大地と結ばれることで生殖力を取り戻します。
そして、この地で栽培される作物としてよみがえり、再び世界に生命をもたらす存在となります。』


「メンフクロウのシャーマン」
「先祖と母なる大地の結合」
紀元後100-800年 ラルコ博物館

『こうして共同体は豊作を保証され、3つの世界がすべてつながりました。太陽は毎日戻ってくるでしょう。台地には恵みの雨が降り、種は芽吹いて成長をはじめるのです。命の循環は続きます。』

なんと「とうもろこし神」は甦った英雄でした😮!!!



「神話の豊饒の場面が描かれた儀礼用の杯」
ランバイェケ文化
紀元後700-1300年 ラルコ博物館



ここまでアイ・アパエックの物語を学んできて、私には日本ではスサノオの姿が重なるように思いました。
荒ぶる力を持ちながらも、怪物を倒して世界に秩序を取り戻すという点で、スサノオの神話とアイ・アパエックの物語はとても似ているように感じました。

また、太陽を取り戻すエピソードは、アマテラスの天岩戸神話や、卑弥呼の死の際に語られた日蝕の脅威とも通じますよね。

7月に万博で知った時にはユニークな文化だと思いましたが、モチェの神話を知って、日本人にも親しみやすい感覚だなぁと感じました。


また、この展示が上手ですよね~!!

他の見学者も、思いがけない文化の展示に驚きながら、真剣に見入って「太陽が大事!なのね。」などと、それぞれに感想を語っていました。

次の展示は少し趣が変わります・・・。

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