2025年7月1日

金剛峯寺~奥の院へ 高野山③


蛇腹路

「三鈷の松」あたりからしっかりと雨が降り始めました。
それでなくても寒いのに、濡れてはたまりません。
早々に昼食にすることにしました。

高野山と言えば「精進料理」ですが、蛇腹路をでて金剛峯寺へ向かう途中の「和風レストラン 丸万」には普通にうどんや丼ものがありました。

いや~、ここでうどんが食べられたのは大きい!!

凍えかけていましたが、いっきに温まりました。


お昼を食べている間に、雨が止みました!!気温も少しだけ上がってきたように感じます。

真言宗の総本山金剛峯寺へ向かいます。





狩野派や千住博氏による美しい障壁画や、日本最大級の石庭、蟠龍庭(ばんりゅうてい)が見られます。

境内にの隅に水場があり、花菖蒲かカキツバタが咲いていましたが、ここから蛙の鳴き声が聞こえていました。
よく響く鳴き声だったので、カジカガエルか!!と思いましたが、鹿の鳴き声のようではありません。
「コロッコロッ」みたいな声でした。

高野山には、木の上で生活し卵を産みつけるというモリアオガエルという珍しい蛙もいるということで、すぐそこの見えそうな場所で鳴いていたのでかなり探しましたが、分かりませんでした。

池の上に張り出した木の上に泡状の卵塊を産み付け、雨が降ると泡が崩れ、中からオタマジャクシが水面に落ちていくという、なるほど・・・な産卵スタイル。
ちょうど繁殖期のまさに雨の降ったあとですので、鳴きたくもなりますかね・・・。


せっかく高野山にきたので娘たちの御数珠を新調しました。
お手頃なものから~いろいろと品数多く揃っています。
アベンチュリンと、珊瑚とそれぞれイメージにあったものを選んでいましたよ。
「高野山おでかけきっぷ」には拝観やお土産、飲食の割引特典がありましたので、お得に購入することが出来ました。





奥の院に向かう道中に、変わった狛犬がありました。

成福院の境内の一角にある「摩尼宝塔(まにほうとう)」です。
第二次世界大戦中、ビルマ戦線で亡くなった日本兵の慰霊と、アジアの平和・親善を祈念して建てられたとのこと。

中にはビルマ戦関係の展示もありました。

ビルマ戦と言えば日本文学の名作「竹山道雄氏」の『ビルマの竪琴』が知られていますが、竪琴の展示もありました。

「オーイ、水島!一緒に日本に帰ろう!」と呼びかける仲間に背を向け竪琴を弾く名シーンを思い出しながら、これがビルマの竪琴かぁと感慨深かったです。

地下には「体内巡り」があり、久しぶりの真の暗闇に、逆に目が覚めました。


いや、さすが高野山、どこでも気を抜いてられませんね!






さらに、道中・・・え?猫の蟇股なんですけど・・・。
丹生院、急に興味がわきますが、猫とのつながりは分かりませんでした。
徳川家とも丹生都比売大神とも小堀遠州とも直接の関係はなさそうです。

ちなみに猫の裏側の彫り物は対照的でびっくりします。



奥の院の入り口に到着しました。
ここからはお墓の道ですね。




お墓巡り・・・不思議なものですが、
そういえば、最近でも佐川で牧野富太郎の墓や、出雲で出雲阿国のお墓に寄ってみたり、お寺と言えばあっちこちでいろいろな人のお墓に行ってますね・・・。

いろんな歴史人のお墓を見ながら進むと、「中の橋」を渡ってすぐ、「汗かき地蔵」のお堂の隣に「姿見の井戸」というものがありました。

この井戸を覗き込んで自分の姿が水面に映らなければ、3年以内に命を落とすという言い伝えがあるとのこと。
ということで、3年ごとに覗きに来るという方もいるようですね・・・。



誰々の墓だね~と見ながら進んで行くと、奥の院につきました。





帰り道には、アリの墓もありました。







金剛峯寺と、摩尼宝塔、奥の院の御朱印です。

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