📖 時代小説でおなじみの舞台
「富岡八幡宮」は時代小説に頻繁に登場する場所。
ずっと気になっていましたが、今回ようやく足を運ぶことが出来ました。
数年前の壮絶な殺人事件で名前を耳にした方もいるかもしれませんが、朝一なのもあって周辺は静かで落ち着いた雰囲気に包まれていました。
🧭 伊能忠敬の銅像が素敵すぎる
鳥居のそばには、「伊能忠敬」の銅像があります。
彼はこの地に居を構え、全国測量の旅に出る前に富岡八幡宮で安全祈願をしたと伝わります。
歩測用の杖を手に、力強く一歩一歩を進める姿・・・なんてかっこいい銅像でしょう✨✨
実は小学生の頃、教科書で見知ってから、伊能忠敬のことは好きなんです。
人生を2度生きたと言われる彼は、半生は造り酒屋の商人として成功し、
なんと56歳から測量の旅を始め、あの「大日本沿海輿地全図」を作ったのですよ!!
全国を歩き、こんな素朴な道具を使って現代地図とほぼ誤差のない「伊能図」を完成させた彼の姿に、思わぬところで触れることが出来て、興奮します。
背面の地図も彼の物語そのもので、このままアクスタが欲しい気分です!!
今なら「義勇さん」と一緒に飾ります…。
(富岡だけに・・・義勇さんは点はないですけどね 笑)
境内の狛犬は右手側の階段ににスロープがあって、上から見下せるんです。
このアングルがちょっと珍しかったので、思わず写真を撮りたくなるポイントでした。
本殿の額「萬世太平」に込められた祈り
本殿の額には、「萬世太平」と書かれています。
この文字は昭和天皇の終戦の詔書に含まれる有名な一節なのです。
昭和天皇は東京大空襲直後の被災地視察で富岡八幡宮を訪れ、焼け野原の惨状を目にしたことが終戦決断の一因となったと伝えられています。
そして、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・」と詔書(玉音放送)が発表されるわけですが、あの詔書は「以て万世のために太平を開かんと欲す」と続いています。
早朝の澄んだ空気の中、ただ静かに、
「どうかこの世界が、萬世にわたり太平でありますように」
そう願わずにはいられませんね。
境内を散策していると、社務所を少し早く開けてくれました。
「1番」の札です。なんとなくうれしいです。
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| 富岡八幡宮の御朱印帳 |
横綱力士碑と自ら刻む四股名
富岡八幡宮と言えば、「勧進相撲」が有名ですが、この奥へ進むと・・・
横綱力士碑があります。
江戸時代、相撲は京や大阪で寺社の修繕費を集める「勧進相撲」として行われていました。
しかしトラブルが多く、幕府からたびたび禁止令が出されていたのです。
そんな中、貞享元年幕府が春と秋の二場所を正式に許可した場所こそが、深川の富岡八幡宮でした。
横綱力士碑は裏側に回ることが出来ます。
初代明石志賀之助から現代の横綱までの四股名が刻まれています。
新横綱が誕生すると富岡八幡宮で奉納土俵入りを行い、横綱本人が石碑に自らの四股名を刻み入れるんですって。
こちらは、鳥居近くにある、巨人力士身長碑です。
2メートルを超える力士たちの名と身長が刻まれ、最高はなんと230cm!
つい「日本昔話」の三年寝太郎や、鬼退治系の昔話にでてきそうなキャラクターを想像してしまいます。
日本最大級の大神輿と「水かけ祭り」
| 一の宮神輿 |
| 二の宮神輿 |
富岡八幡宮には日本最大級の大神輿があります。
江戸三大祭りの「深川八幡祭り」は「水かけ祭り」として有名なんだそう。
純金や宝石を散りばめたきらびやかな造りとのことで、とにかく豪華!!
しかし「これで日本最大級?」と最初は思ったのですが、
関西ではだんじり祭りのような“山車”を見慣れているので、「神輿、神輿」と言っていたのに、ちょっと感覚がバグっておりました。
確かに一瞬、“山車”かと思ったぐらい大きいですね。
とは言え、神輿をあまり見かけることがないのですが…
確か・・・天神祭りは、神輿渡御がありましたよね。
ずっと訪れてみたかった、富岡八幡宮は、時代小説の舞台としてだけでなく、思いがけない伊能忠敬像との出会いもあり、平和への願いや、相撲に日本最大級の大神輿まで、
歴史と文化がぎゅっと詰まった場所でした。
さあ、参拝を終え、今度はアート巡り上野へ出発!

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